|日蓮宗 法光山妙圓寺 山梨県南巨摩郡 寺院
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由来

由来

山梨 妙圓寺

 


当山の歴史は古く、文永十一年(1274年)にまで遡ります。当時この地を「河内領八代郡一之瀬」と呼ばれておりました。この村には「常命院」という真言宗のお寺があり、“法喜坊“という住職さんがおりました。今現在は「日蓮宗法光山妙圓寺」でございますが、ではなぜ、このようなことになったのでしょうか?

どんな事でも云えることですが、これには時代と人物が関係してきます。時代とは、「鎌倉時代」。人物とは「日蓮聖人」であります。

当時日蓮聖人は甲州巡教中でございました。太陽も傾き、街灯もない当時のことですので盗賊などもおります。夜道は大変に危ないものですので、日蓮聖人一行はこの一之瀬を通りかかり、一晩の寝床として真言宗常命院に身を寄せました。そこの住職法喜坊、歳は二十代後半だったそうです。五十三歳の日蓮聖人に頭を下げられてはいやとは言えません。お泊めすることになりました。

その晩夜もすがらお坊さん同士ですので法談となり、主調の違う者同士のことですので問答に発展。夜を徹しての問答において、日蓮聖人の底知れぬ深い知識と教養、仏に対する態度、ひいてはその大人格とにすっかり感激し、夢が覚めたような、新しい世界に生まれ変わったような気持ちになり、その場にてお弟子にしていただき名も新しく妙圓院日栄と賜り、お題目修行、布教へと力を入れることとなります。

しかしそれだけではなかったのです。ここにはまた常命院の大壇越(大きな信者さん)である馬場丹後守忠次が招かれてか、宴を囲み法談、問答を傍聴していたことでしょう。そして共に感激したことでしょう。間もなく日栄上人、馬場殿を中心に話し合いが行われ、真言宗から法華宗(今の日蓮宗)へそっくりそのまま改宗してしまいました。

それに伴い境内も馬場殿の居城を寄進され一新し、また寺号も“常命院”から“妙圓寺”と改称しました。さらに新しく開山するにあたり日栄上人はまだお題目修行、法門理解が十分ではなく、新住職をお迎えしなければなりません。考えあぐねた挙句、身延の日蓮聖人に相談したところ、直弟子日朗上人の弟子、つまり直孫弟子ですが、日行上人が適任として招請されます。日行上人も身延の傍ら一之瀬であれば日蓮聖人にお給仕もできる、ということで快く引き受けて頂き、はれてここに「開祖 日蓮聖人」「開山 日行上人」の妙圓寺が誕生しました。

それから七百有余年数回の大火災などにもみまわれながらも法灯を継承し、現在に至っております。

ちなみに現在の住職で四十三代目となります。